室礼 室礼三千HOME室礼歳時記目次
四季の行事正月をひもとく盆の行事春の行事夏の行事秋の行事冬の行事 
  四季の行事
正月をひもとく
 
正月料理
 

お屠蘇

お雑煮
お節料理
七 草

正月の室礼(鏡餅・運盛りなどの実例)はこちら→室礼歳時記

お屠蘇

お屠蘇を飲んで無病息災を願う
お屠蘇とは正月に飲む、屠蘇散を浸した酒または味醂のことをいいます。
邪気を祓い、一年の無病息災を願います。山椒、桔梗、肉桂、白朮、防風などを調合して紅絹袋に入れ、酒か味醂に浸します。古くから、「屠蘇祝う」と称して大中小三種の盃で頂き、無病息災を祈りました。

正月のお屠蘇はいつから?
正月に屠蘇を飲むことは、中国の唐代まで遡ります。 日本へは平安初期の嵯峨天皇の弘仁年間(810〜824)に伝えられ、宮中で用いられました。元日から三日間御薬を天皇に献じ、一献は屠蘇、二献は白散(白朮、桔梗、細辛を調合して温酒で飲む)、三献は度嶂散(麻黄、山椒、白朮、桔梗、細辛、乾薑、防風、肉桂を調合したもの)を入れたもので、「御薬を供ず」といいました。

お屠蘇の処方
平安時代の貴族は屠蘇、白散のいずれかを、室町時代では白散を、江戸時代の徳川幕府では屠蘇を用いていた様です。この風習はやがて庶民にも広まります。 明治末頃は、年末になると薬種屋の店頭には延寿屠蘇散と書かれたビラが下がったそうです。現在の屠蘇はかつての処方とは異なり、だいぶ飲みやすくなっています。

top

お雑煮

お雑煮のいわれ
お雑煮は 正月の祝いの食物です。
一説に、もとは大晦日の夜に年神に供えたものを、元日の朝におろし、汁で煮、年神と人が一緒のものを食べる「直会」といわれてます。 雑煮で正月を祝うようになったのは室町時代といわれています。雑煮は、餅が臓腑を保養するところから「保臓(ほうぞう)」といい、本字は烹雑で、烹は煮と同じであるから雑煮になったそうです。(貞丈雜記) 雑煮は地域によって色々な料理法があります。だしや具ひとつとってみても、実に様々です。

餅なし正月
雑煮に餅を入れる地域は多くありますが、例えば香川県では、 餅の代用としてカンノメと呼ばれるものを入れます。 (カンノメとは粳米8割、糯米2割をひいて小判型の団子にしたもの) また元旦に餅を食べることを忌む餅なし正月の伝承も各地に残っています。

→各地の雑煮の一例へ (別ウィンドウが開きます)

top

お節料理

お節とは御節供のこと
「お節(おせち)」とは節日に用いられる料理のことで、「御節供」の略です。 節日のうち特に正月の食事のことをさします。 年神を迎える正月は家族が一同に会し、供物の一部を分かち食する「直会」を行い新年を祝いました。本来の意味からすると雑煮や屠蘇もお節料理の一種と考えられます。

現在、一般的にお節料理と言えば重箱に盛られた重詰めの料理のことをいいます。 お節料理は、それぞれにめでたいいわれがあり、地域によっても様々です。

・一般的な重詰め

 一の重…口取り
   きんとん、かまぼこ、伊達巻き
 二の重…焼き物
   小鯛の塩焼き、ぶりの照焼き、鶏肉の松風焼
 三の重…煮物類
   八つ頭、牛蒡、人参などの煮染め、昆布巻
 与(四)の重…酢の物
  紅白なます、菊花かぶ
 祝い肴(三つ肴)…一の重に詰めるか、別の器に盛る
   数の子、田作り、黒豆

喰積の風習
祝い肴は明治初期まで「喰積」と呼ばれていました。当時は現在の煮物類をおせちと呼び、祝い肴を喰積(くいつみ)と呼んで重詰めにしていた様です。 江戸幕末の頃、江戸・京都・大坂では正月に蓬莱を飾り、江戸においてはこれを喰積と呼んでいました。三方の中央に松・竹・梅を置き、まわりに白米を敷き詰めます。その上に橙一つ、柑橘類、搗栗、ほんだわら、串柿、昆布、伊勢海老などを積み、さらに裏白、ゆずり葉などを置いたもので、京都と大坂では床の間に飾り、江戸では年賀の客にすすめたそうです。

重箱はいつ頃から?
天明(1781-1789)の頃は食べられていた喰積も寛政(1789-1801)以降は形式的な飾りとなっていき、食する祝い肴を重詰めするようになります。祝い肴の重詰めは、文化年間の文献に見られ、当時の江戸では数の子、田作り、たたき牛蒡、煮豆の重詰めが通例となっていた様です。 明治になると喰積そのものは廃れて祝い肴の重箱に喰積の名前だけが残り、その後祝い肴に他の品々が加わって現在見られる様は多彩な重詰めが作られるようになったといわれています。

→祝いの食品のいわれについて(別ウィンドウが開きます)

top

七 草

芹(せり)・薺(なずな)・御形(ごぎょう)・はこべら・仏の座(ほとけのざ)・菘(すずな)・すずしろ  <春の七草 >

七草の風習
七草とは一月七日の朝に七種の菜の入った粥を食べる習わしのことをいいます。現在でも全国的に行われている七日正月の行事で、邪気を祓うとされています。また、七草には様々な薬効があるといわれています。

七草の由来
古くは子(ね)の日の遊びともいわれ、平安時代には正月最初の子の日に野に出て若菜をつむ風習がありました。「延喜式」に見られる七種粥と、若菜摘みの古俗と、中国の人日の行事が合わさり、七草粥になったのであろうといわれています。 七草粥の習わしは江戸時代まではかなりに盛んに行われていた様ですが、幕末頃の民間では七種のうち1、2種の菜を入れるだけだったとか。
今日でも 七草の種類は地域によって違いがあり、七種に限らない所もあります。

「延喜式」平安時代中頃
宮中で正月十五日に供御(くご)の粥として用いられたもの。 この頃は穀類でした。 米・粟・黍・稗子・みの・胡麻・小豆

→七草の写真と薬効(別ウィンドウが開きます)


七草囃子と七草叩き

七草なずな  唐土の鳥と
日本の鳥と  渡らぬ先に
七草なずな  手につみ入れて
あみばし  とろき  ひつき  ちりこ
げにげにさりげなきようにて
物の大事は侍りけり

六日の夜から七日の早朝にかけて、まな板の上に七つの道具をそろえて七草を叩き刻みます。
歳徳神の方に向かって(例えば年神棚の前などで)叩くならわしがあった様です。
七種の道具 : 火箸・擂粉木・杓子・おろし金・菜箸・火吹竹・割薪 など
このときに唱える言葉が囃子歌となって七草囃子として各地に伝えられています。
詞は地域によって様々です

top

七草粥の作り方

----------------------------
材料(4人分)
米1カップ
七草150グラム
おろししょうが、炒り胡麻、塩 適宜
---------------------------

 

1.といだ米を厚手の鍋に入れ、水5カップを加えて30分程おく
2.弱火で1時間程静かに煮込む(つやが出る)注:混ぜないこと
3.七草は洗って刻み、2に加えてさっと火を通す。少量の塩を入れ味を整える。
4.器に盛り、おろししょうが、炒り胡麻をのせる

top

四季の行事正月をひもとく盆の行事春の行事夏の行事秋の行事冬の行事 
四季の行事