笹飾り
笹の葉さらさら のきばにゆれる お星様きらきら きんぎん砂子
五色の短冊 私が書いた お星様きらきら 空から見てる
(唱歌「たなばたさま」権藤花代・林柳波作詞/下総皖一作曲)
七夕に短冊色紙をつけた笹竹を立てるようになったのは江戸時代に入ってから。都市部を中心に寺子屋が普及し、手習い事の上達を願う習俗が生まれ、武家社会に五節供として定着していた七夕は一般にも浸透していきました。
当時の江戸では七月六日の夕べから七夕竹を立てる風習があり、市中には笹竹売りの「竹やあ、竹やあ」という声がこだまし、幕末頃には各戸で短冊色紙をつけた青竹が高く屋上に立てられたといいます。
広重の『名所江戸百景』にもその様子が良く描かれています。
新暦では梅雨の最中の七夕も、旧暦の七月七日は立秋の頃にあたり、天気が安定しており夜空には天空を横切るように天の川が流れています。そのことからも本来は旧暦の行事であったことがうかがえます。
今日では、学校や公共の場以外で笹飾りを見かけることが少なくなりました。
そもそも、七夕の翌日には「七夕送り」といって笹飾りやお供物を川に流したり燃やしたりして穢れを持ち去ってもらう禊の行事が併せて行われていました。
現代の特に都市部ではそういった行事の締めくくりかたが中々難しくなっています。住宅事情や家族構成、環境の問題もあるのでしょう、一般の家庭からこの様な七夕の風景が消えて行ってしまうのは残念なことです。先人から受け継いだ行事の精神を後世に伝えるには地域社会ぐるみで考える必要があるのかも知れません。
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