陰陽五行思想
中国戦国時代末頃、陰陽説と五行説が結びつき、陰陽五行思想となったといわれています。
陰陽五行思想では原初、宇宙は天地未分化の混沌とした状態であったのが、この混沌とした中から光明に満ちた軽く澄んだ「陽」の気が上昇して「天」となり、次ぎに重くて濁った暗黒の「陰」の気が下降して「地」となったといいます。この陰陽二気は、一年を周期として代わる代わる消長盛衰します。陰陽は一年を周期として夏至と冬至を境に互いに逆方向に消長します。その消長の間に、五原素(木火土金水)を生じ、この五原素も陰陽二気と同じく一年を周期として消長盛衰し、春夏秋冬の四季節の別が生じたといいます。
連綿と交代していく四季節の変化のごとく、宇宙のあらゆる諸現象は生成消滅するという考えが陰陽五行思想の根本にあるといわれてます。
宇宙森羅万象をまず陰陽二気の働きによって説明し、五行を割り当てて判断する陰陽五行思想は、暦法と結合し十干十二支の組み合わせにより多くの迷信を生み出すことになっていきます。
奈良時代前期に渡来した陰陽五行思想は、江戸時代になると天には五惑星、地には五行、人の心には五常といった精神構造をも形成するまでに至ります。
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